2010年 11月 12日
むっちゃんの経過報告。その④ |
むっちゃんのその後の経過です。
前回記したように、ヘルニアの手術は予定通り行われ
無事終わったのですが、その他に見つかった病変がシビアなものでした。
脊髄の周りにある硬膜が何らかの衝撃で裂けて(損傷して)
脊髄の中の神経が飛び出て壊死している、との報告でした。
脊髄の溶解だそうで、当初恐がっていた「進行性脊髄軟化症」ではない、
との判断でした。
そして自己排泄は生涯出来ず、
歩行に関しては、大腿骨、及び大腿部に走る神経系統が
犬の歩行の本能(前脚が出ると、後ろ脚も出る)を呼び覚まし
時間がかかるけれど、立ち上がったり、ヨチヨチではあるけれど
歩行出来る可能性がある、、、との説明も受けました。
ワタシは多くを希まなかっし、僅かな期待よりも
現状維持さえ出来ればいいと思っていましたが
やはり脊髄の「溶解」と聞いたときは動揺しました。
しかしながら、1週間~10日程度の入院と聞いていましたし
全身麻酔からも上手く醒めたので
病院に全てお任せして、
退院してからの大変さを頭に思い描きながら
通常通り、翌日(10日)の予定をそのままに過ごしておりました。
10日、16時過ぎころ一本の電話が。
緊急を知らせる電話でした。
予想とは反する
むっちゃんの容態の悪化を知らせる電話でした。
「進行性脊髄軟化症」の症状のひとつである
眼の中に瞬膜が現れだし、呼吸も肺の筋力をキチッと使って呼吸してない
との連絡でした。
一度、覚悟したむっちゃんの限られた命の時間。
その時計が止まったと思ったのに、また動き出したのです。
出先で受けたその一報に酷く動揺しました。
震えました。
まずどうすればいいのか分かりませんでした。
正直、具合の悪くなっているむっちゃんを見たくない、と思いました。
恐かったからだと思います。
でも、「最期を看取ってあげないと」「耳や鼻でわかるはずだから」と、
一緒に居た人が冷静にワタシを嗜め
むっちゃんの元へ急ぐように促してくれました。
ひとりだったら、、、ただ呆然として動けなかったかもしれません。
急いで電車に乗って最寄り駅まで行き
タクシーで病院に。
既に両親は病院にいて、執刀医である病院長から説明をうけた後でした。
病院長は獣医学会があるため、ワタシを待っていられない状態だったそうですが
その責任と家族を思う気持ちからか、
ワタシの到着を待っていてくださいました。
麻酔から醒めた昨日と同じようなむっちゃんを見て
これから悪化の一途を辿ると思えなくて
一生懸命、むっちゃんを呼び
むっちゃんがワタシの肌を感じれる様に上着を脱ぎ
匂いも届けました。
両親が病院長の説明を聞くように促したけれど
ワタシは何分か・・・・・振り向かず
聞く耳も持たず、の姿でした。
父から「ayo!」と強く云われ・・・
振り向き、震えながら院長の説明を聞きました。
昨日聞いた病状と違う、その説明を。
脊髄の溶解している部分とはまた違う場所で
どうやら軟化症が進んでいるようです、と。
むっちゃんの手術時の脊髄画像、溶解場所、全て見ました。
それは生々しくも、むっちゃんの病状を理解するために必要な画像でした。
病院長の「残念ですが・・・」という言葉を聞き
即、自宅に連れてかえる支度と、ポータブルの点滴を、と助手さんにお願いして
そこからは・・・毅然としたワタシになっていた気がします。
と、云うわけで、
むっちゃんは、今自宅で過ごしています。
ワタシを初め、家族みんなに声をかけられ、見詰められ
好きな鶏肉の照り焼き、フィナンシェ、蜂蜜を毎日3回食べて過ごしています。
1日1日衰弱してくはずのむっちゃんですが
比較的横ばいで頑張ってくれているむっちゃん。
いつ消えるとも分からぬ命ではありますが
その尊厳をワタシに示しています。
残念な経過報告ですが、1日1日を大事に過ごしている
むっちゃんとワタシたち家族の報告をするのも
大事だと思いましたので、記しました。
取り急ぎ、ご報告まで。
*ayo*
前回記したように、ヘルニアの手術は予定通り行われ
無事終わったのですが、その他に見つかった病変がシビアなものでした。
脊髄の周りにある硬膜が何らかの衝撃で裂けて(損傷して)
脊髄の中の神経が飛び出て壊死している、との報告でした。
脊髄の溶解だそうで、当初恐がっていた「進行性脊髄軟化症」ではない、
との判断でした。
そして自己排泄は生涯出来ず、
歩行に関しては、大腿骨、及び大腿部に走る神経系統が
犬の歩行の本能(前脚が出ると、後ろ脚も出る)を呼び覚まし
時間がかかるけれど、立ち上がったり、ヨチヨチではあるけれど
歩行出来る可能性がある、、、との説明も受けました。
ワタシは多くを希まなかっし、僅かな期待よりも
現状維持さえ出来ればいいと思っていましたが
やはり脊髄の「溶解」と聞いたときは動揺しました。
しかしながら、1週間~10日程度の入院と聞いていましたし
全身麻酔からも上手く醒めたので
病院に全てお任せして、
退院してからの大変さを頭に思い描きながら
通常通り、翌日(10日)の予定をそのままに過ごしておりました。
10日、16時過ぎころ一本の電話が。
緊急を知らせる電話でした。
予想とは反する
むっちゃんの容態の悪化を知らせる電話でした。
「進行性脊髄軟化症」の症状のひとつである
眼の中に瞬膜が現れだし、呼吸も肺の筋力をキチッと使って呼吸してない
との連絡でした。
一度、覚悟したむっちゃんの限られた命の時間。
その時計が止まったと思ったのに、また動き出したのです。
出先で受けたその一報に酷く動揺しました。
震えました。
まずどうすればいいのか分かりませんでした。
正直、具合の悪くなっているむっちゃんを見たくない、と思いました。
恐かったからだと思います。
でも、「最期を看取ってあげないと」「耳や鼻でわかるはずだから」と、
一緒に居た人が冷静にワタシを嗜め
むっちゃんの元へ急ぐように促してくれました。
ひとりだったら、、、ただ呆然として動けなかったかもしれません。
急いで電車に乗って最寄り駅まで行き
タクシーで病院に。
既に両親は病院にいて、執刀医である病院長から説明をうけた後でした。
病院長は獣医学会があるため、ワタシを待っていられない状態だったそうですが
その責任と家族を思う気持ちからか、
ワタシの到着を待っていてくださいました。
麻酔から醒めた昨日と同じようなむっちゃんを見て
これから悪化の一途を辿ると思えなくて
一生懸命、むっちゃんを呼び
むっちゃんがワタシの肌を感じれる様に上着を脱ぎ
匂いも届けました。
両親が病院長の説明を聞くように促したけれど
ワタシは何分か・・・・・振り向かず
聞く耳も持たず、の姿でした。
父から「ayo!」と強く云われ・・・
振り向き、震えながら院長の説明を聞きました。
昨日聞いた病状と違う、その説明を。
脊髄の溶解している部分とはまた違う場所で
どうやら軟化症が進んでいるようです、と。
むっちゃんの手術時の脊髄画像、溶解場所、全て見ました。
それは生々しくも、むっちゃんの病状を理解するために必要な画像でした。
病院長の「残念ですが・・・」という言葉を聞き
即、自宅に連れてかえる支度と、ポータブルの点滴を、と助手さんにお願いして
そこからは・・・毅然としたワタシになっていた気がします。
と、云うわけで、
むっちゃんは、今自宅で過ごしています。
ワタシを初め、家族みんなに声をかけられ、見詰められ
好きな鶏肉の照り焼き、フィナンシェ、蜂蜜を毎日3回食べて過ごしています。
1日1日衰弱してくはずのむっちゃんですが
比較的横ばいで頑張ってくれているむっちゃん。
いつ消えるとも分からぬ命ではありますが
その尊厳をワタシに示しています。
残念な経過報告ですが、1日1日を大事に過ごしている
むっちゃんとワタシたち家族の報告をするのも
大事だと思いましたので、記しました。
取り急ぎ、ご報告まで。
*ayo*
by xxayoxx
| 2010-11-12 22:41
| イヌ